いつもキレイな心でいたいから。。☆″
心のレシピ/Lesson64「“気づき”は心の傷を癒す」
心は自由。
けれども、私たち人は、
過去世の経験より培ったある“想い”にとらわれたり、わだかまったりが習慣化されて、
心は不自由な状態に。
心のレシピ/Lesson64「“気づき”は心の傷を癒す」
心は自由。
けれども、私たち人は、
過去世の経験より培ったある“想い”にとらわれたり、わだかまったりが習慣化されて、
心は不自由な状態に。
塾生:
「これやって」とか「こうすれば」などと指示されて「やらねば」と
「これやって」とか「こうすれば」などと指示されて「やらねば」と
責任感か、強迫観念から?かそれなりに励みますが・・結構、疲れる。
センセ:
そう、仰る通り「やらねば」との想いは多少の無理を伴うもの。
そう、仰る通り「やらねば」との想いは多少の無理を伴うもの。
塾生:
苦手な家事だから頑張らなくてはできない。
得意な事なら何も言われ(指示され)なくてもやってると思う。
苦手な家事だから頑張らなくてはできない。
得意な事なら何も言われ(指示され)なくてもやってると思う。
センセ:
そう、「苦手な」との想いは事柄(家事)自体ではなくて
相手から「こうだ」「ああして」との指図や命令されたりすること。
それに、その「頑張り」に見合った見返り(例えば「ありがとう」の感謝や「おかげさま」などの労い)そう、「苦手な」との想いは事柄(家事)自体ではなくて
相手から「こうだ」「ああして」との指図や命令されたりすること。
のないことは不満であるはず。
塾生:
その通り。だいたい、頑張ってるのに感謝もない。当然、不満です。
その通り。だいたい、頑張ってるのに感謝もない。当然、不満です。
「やってくれて当たり前」って感じて・・いったい何様?と思う。
センセ:
そう、仰る通り、互いの尊重や尊敬に欠けているゆえの「何様」。
そう、仰る通り、互いの尊重や尊敬に欠けているゆえの「何様」。
見返りの期待できない「やらねば」なれば、心と体への負担が大きく
過去世にて既に、その「頑張り」により心と体を痛められていますね。
塾生:
そうか。相手を下に見ていたから、逆に見下される。因果律・・か。
過去世の因縁は相応に根が深いのですね。
そうか。相手を下に見ていたから、逆に見下される。因果律・・か。
過去世の因縁は相応に根が深いのですね。
センセ:
そう、「立派だ」と思える人を尊敬するのはごく自然なこと。
そう、「立派だ」と思える人を尊敬するのはごく自然なこと。
けれども、過去(世)あなたにとって尊重・尊敬に値しない相手を
改めて、人として尊重・尊敬するためのご縁(境遇)ですね。
改めて、人として尊重・尊敬するためのご縁(境遇)ですね。
心に仕舞い込まれている不満は過去世にて、
一所懸命、頑張って生きてきたことが認められず
「報われていない」との想いによる不満
一所懸命、頑張って生きてきたことが認められず
「報われていない」との想いによる不満
他者からいくら「偉い。頑張ったね。素晴らしい!」
と褒められ、労われても
と褒められ、労われても
頑固な自我ほど「この程度では不満」と欲張る余り、
現状を容認できない
現状を容認できない
何よりも、自分自身で「頑固に頑張ってきた」ことを認めて、
頑張った相応の苦労を労ってこそ、
自我の強欲な欲求から解放され、心の不満は癒えてゆく
頑張った相応の苦労を労ってこそ、
自我の強欲な欲求から解放され、心の不満は癒えてゆく
今現在の自分の身の丈を整然と把握することは
心にとっては何よりの安心に。
心にとっては何よりの安心に。
その心の様子、容態に
自ら気づけるように
様々な形でご縁をいただいている
自ら気づけるように
様々な形でご縁をいただいている
自由な心は幸福を感ずる心。
不自由な心は不幸を生みやすい状態ゆえに
不自由な心は不幸を生みやすい状態ゆえに
幸福を感じられる本来の「自由」を求めているのです。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;