いったい何と
戦ってきたのだろう
己の不安がそうさせるのか、あるいは
何某かの不満からか
そうせざるをえなかった、過去の世を経
真一辺倒に突き進み、今なおも
「誰」と争おうというのか
たとえ、いかなる正義であれ
審判の亡者になっては、人でなし
阿修羅のごとし
真は尽くせど、独り立ち回り
真の愛を見失っては、人間に非ず
その真にて 律する相手は「私」
その愛にて 受容する相手は
他でもない「私」
その不安、不平不満足の根本原因は
他所に有るのではなく
己の身内に潜む 心の “傷”
裁くことも、責めることも
その傷を抱えたままに
世の習いへ沿おうと 抗おうと
妄執する その心を解きほぐすのは
やはり「私」なのだから
私自身で解き、そうして 癒された時
鬼する神を越えて
「人」となりゆく
敬愛と感謝をこめて
ごめんなさい
ありがとうございます
愛しています