好いか、悪いか
などではなく
“どうありたい” か
都度、「私」へ
本心を 問う
そうあるためには
一にも、二にも
「行動あるのみ」 だからと
半ば 強制的に
推し進めるのではなく
ひとまずーーは
“ありたい” 私の
本当の意図を探して
見つけること
時にーーー
ありたい“想い”すら
見失わせてしまう
「私」の心が
抱え込んでいる想いへ
意識を向けて
思いやること
好いか、悪いか、嫌いか、好きか
それらは
“どうありたい” か
真の “心” を知るために
気づいてーー気づいて
都度、気づいて
「私」の心を
理解するための
表面上の
キッカケに 過ぎない
敬愛と感謝をこめて
ごめんなさい
ありがとうございます
愛しています