お邪魔

2022年9月28日水曜日

 初代塾主の時代に

「お邪魔が入った」との言葉を時折、耳にした。


聴くたびに

「それって・・・どうして?」

反発ほど強い感情ではなかったものの

一投の問いを投げかけずにはいられない。


実際、その時々にお邪魔なさるのは

人の霊(幽界人)だったり

神様であったり、御存在様であった。


それはともかくとして

「邪魔」との言葉に、一抹の違和感あり。


どこか排他的で

“無用なもの”といったふうに感じて


「そんなぁ~・・」と切ないような

浮かばれない気持ちもある。それはーー


明白な過去世のトラウマも相俟ってのことだ。



2世前、身体的な欠点を悪く噂されたことを気に病み

「人を愛さない」と決めて、排他的に生きていて


悪く言われるような欠点は無用の長物、

「こんな身体でなければいいのにーー!」

否定的に捉える想いは、排他的以前に排”自”的

自暴自棄となって、わだかまった。



そのような過去世の経緯があればこそ、とかく

「邪魔=無用なもの」と悲観的に捉えてしまいがち


と、同時に

「意味のない(無用な)物事など起こらない」はず。

とも感じていてーー


お邪魔が入るという事態が起こった経緯を

伺えば伺うほど・・納得がいった。


「お邪魔」はーーー

整然とした理由があって起こっていたこと

(少なくとも無用の長物などではない)


本人にとって、不都合と思える事が生じることにより


普段より気がつかずに見過ごしている(あるいは、気づこうとしない)

本人にとっての極めて大事なこと(カルマ・トラウマ・悪想念)を

気づかせるためであることーーー。



ある方は、邪魔されることでーー

考え直す機会をいただいて、出直しされた


ある方は、邪魔されたことを機にーー

自分を省みて、傲慢であったことを自覚され

意識的に諭し続けて、改心された


ある方は、お邪魔によってーー

これまでのやり方(生き様)を見直さざるをえなくなり

結果的に、よりよい方向へ向かう転機となった



当時の

“お邪魔なされた方々” は


邪魔される人々同様、自らの悪想念に絆されることで

ある面、憎まれ役?を成し、邪魔者に徹して

その役目を全うされ、去っていかれたがーー


過去の時代時代より、

幸せに在れない障りや不具合を抱え続けている人々の

心を揺さぶり、その生き様や在りように問いを投げ掛けては


様々な気づきと幸福の自覚を促している


いわゆる

“メッセンジャー”であったのだ






敬愛と感謝をこめて

ごめんなさい

ありがとうございます

愛しています

人類総幸福化を願って・・

 。・。;+;☆;+;。。・゚