認めること
「私は人である」
そう思えるとしたら
「私」という「人」の中には
“心”があって
「私」という
「人」の“魂”である
ということ。
いづれも
潜在する“意識”ゆえに
目には見えなくとも
「私」が
「私は人」として
認めているのだから
そこには純然たる
人の“心”があり、
人の“魂”が存在すること。
それらの“意識”は
見えなくとも 通じていること。
“心”も“魂”も
意識することによって
「私」の理解を深めるための
様々な気づきを与えてくれる
「認められない」本当の理由や
「信じられない」本当の理由も
「私」の心や魂へ
そっと問いかけたならば
その理由を
見つけることが出来ること
敬愛と感謝をこめて
ごめんなさい
ありがとうございます
愛しています