「効率よく」を 頭(顕在意識)で考える時
必然と
“無駄を省く”との“想い”が 意識下(潜在意識)に燻っており
それを意識するほどに炙り出され
顕在化してゆく
これまで(過去世)の “無駄であった”との
心痛な記憶から、無駄を嫌がり
「無駄を無くそう」と頭を捻り、奔走するも
思うようにいかず。。 結果
「無駄に時間(金?)が掛かった」とか、、何とか。
それもそのはず。。
効率的な考えも “無駄”への ‘とらわれ’が あればその、自らの“想い”に足をすくわれる
“無駄”と思わば、無駄。となろうも
心の痛みを知って
より善くあるための
“学び”と思わば、学び成り。
いづれにしても。。 必然。である
がゆえのこと
敬愛と感謝をこめて
ごめんなさい
ありがとうございます
愛しています