いつもキレイな心でいたいから。。☆″
心のレシピ/Lesson84
キレイな心は 安らかな ‘想い’から。「安心」は安らかな心の様子を示し
不安がなければないほど不満もなく、幸福感に満たされてゆきます ^ ^♪
塾生:楽をすることはあまり良く思えない。たとえば、自ら働きもせずに、他者の稼ぎをあてにするなど、働かずに楽をすることが狡く思えて。
センセ:そのように「狡く」思えるほど、ご自身は苦しい想いで働き、一所懸命に稼いでこられた。それゆえ、貴方と同程度か。。もしくはそれ以上に働いている人は好いが、そうでないと認められない。
塾生:そうですね…「働かざる者、喰うべからず(諺)」の想いかな、狡く思えてしまうのも。他者(弱者⁇)への施し(お布施や寄付など)はしませんので。
センセ:仰る通り。。働いていることが唯一の、社会に認められることだとの‘想い’が大きいのでしょう。その‘想い’は、ご自身の過去世に由来します。
周囲に認められることへ懸命になり、認められる(認めさせる)ために賢く、時には 狡猾である必要があった。貴方にとって賢くあるのは好ましい反面、狡(賢)いことは容認できなかったゆえ、そのような自分を受容出来ずに苦しんでこられた。
塾生:なるほど、他者に対する「狡い」は、自らの「狡猾さ」なのですね。ありがとうございます、前世にどうも。。その発端がありそうです ^ ^♪
センセ:お気づきのように。。「楽して狡い」は、他者との比較(優劣)より生じたもの。賢ければ優越、狡猾は劣等、今の貴方にとっての「楽」は劣等感が先立つために「楽して劣るなどは もっての外」ゆえ、本心では楽をしたいが楽することを赦さない‘想い’である「狡い」が自らの心を苦しめています。
「楽したいが、楽をすることに申し訳なさや罪悪感がある」
と仰る方は多い。それでも、やはり「楽したい」と本心は訴える。
過去世、生きるのがやっとだった時代の産物「働かざる者食うべからず」にとらわれ、申し訳なさや罪悪感などが ‘わだかまり’や‘しこり’、‘想い癖’となって 心が深く傷ついてしまっている。
それら‘トラウマ’により苦しめられ、楽ではない心は、不満を訴え、ただ不安でしかない。
なぜなら。。
「‘楽’ は 不安なき自由な心」ゆえに。
相手が自分であろうと、他人であろうと「人」に対する‘想い’を改めて意識する時ーーー傷ついた心には、不満や不安な‘想い’が浮かびます。
その心の不満に気づいて、不安な‘想い’を見つめてあげられたなら
心は健やかに 成長してゆきます。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;