いつもキレイな心でいたいから。。☆″
Lesson58 「信」―心のエッセンスpart5
人は何かを「信じている」とは言っても、その「信」は、絶対的(100%)か?
と問われたら・・どうでしょう。ちょっぴり・・心が揺れちゃう!?かも?
塾生:
「○○を信じていたのにガッカリ」といった物事の受け止め方は、そもそも「信」が薄いからということでしょうか?
センセ:
そうとも云えるかもしれません。その程度の「信」というより、真意の「信」ではなかったことに気づけたとしたら、むしろラッキー♪ですネ(^^)
塾生:
なるほど、確かに(頷)。たとえば・・我が子への絶対的な「信」は親であれば当然、あって然るべきものでしょうか?それとも、情愛ゆえの執着に偏っていれば、やはり「信」とはならない?
センセ:
そうですね。たとえ「我が子」であれ、執着から真の「信」は生れ難いもので、その逆、親に対しての「信」も同じこと。概ね人は、人に対して絶対的、100%の「信」を置いているかと言えば、そうではないのです。
人の絶対的な「信」とは―――
「明日もきっと生きていかれる(であろう)」環境や社会や家庭、諸々の状況が用意されていることを魂は知っている。だからこそ、今日一日を生きていられる。
それは、創造主に対する絶対的な「信」であり、その真意の「信」は、人に潜在する心や魂などの意識の内にあります。
顕在意識で捉えられるまでに「人」の意識が進化成長した暁に、人々の間で「信」は絶対的にほど近いものへと深まり、自己も他者も隔たりなく共に、幸福へ根差した社会を形成し、平和裏に安穏たる生を営んでゆくことになる。
もしも、そう「信じられない」ならば・・それは、人に備わる「信」を揺るがし、信じ難くさせている要因が自らの心にあるから。そのトラウマ、解消しましょう♪
「信」とは―――幸せな人生へ臨むために欠かせない
心のエッセンスのひとつなのです。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
Lesson58 「信」―心のエッセンスpart5
人は何かを「信じている」とは言っても、その「信」は、絶対的(100%)か?
と問われたら・・どうでしょう。ちょっぴり・・心が揺れちゃう!?かも?
塾生:
「○○を信じていたのにガッカリ」といった物事の受け止め方は、そもそも「信」が薄いからということでしょうか?
センセ:
そうとも云えるかもしれません。その程度の「信」というより、真意の「信」ではなかったことに気づけたとしたら、むしろラッキー♪ですネ(^^)
塾生:
なるほど、確かに(頷)。たとえば・・我が子への絶対的な「信」は親であれば当然、あって然るべきものでしょうか?それとも、情愛ゆえの執着に偏っていれば、やはり「信」とはならない?
センセ:
そうですね。たとえ「我が子」であれ、執着から真の「信」は生れ難いもので、その逆、親に対しての「信」も同じこと。概ね人は、人に対して絶対的、100%の「信」を置いているかと言えば、そうではないのです。
人の絶対的な「信」とは―――
「明日もきっと生きていかれる(であろう)」環境や社会や家庭、諸々の状況が用意されていることを魂は知っている。だからこそ、今日一日を生きていられる。
それは、創造主に対する絶対的な「信」であり、その真意の「信」は、人に潜在する心や魂などの意識の内にあります。
顕在意識で捉えられるまでに「人」の意識が進化成長した暁に、人々の間で「信」は絶対的にほど近いものへと深まり、自己も他者も隔たりなく共に、幸福へ根差した社会を形成し、平和裏に安穏たる生を営んでゆくことになる。
もしも、そう「信じられない」ならば・・それは、人に備わる「信」を揺るがし、信じ難くさせている要因が自らの心にあるから。そのトラウマ、解消しましょう♪
「信」とは―――幸せな人生へ臨むために欠かせない
心のエッセンスのひとつなのです。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;