いつもキレイな心でいたいから。。☆″
Lesson57 「恕」―心のエッセンスpart4
「恕(じょ)」って?――少々、耳馴染みのない単語のよう。訓読みの
「ゆる(恕)す」なら。。何となくでも・・頷けるかしらん?
塾生:
センセ:
Lesson57 「恕」―心のエッセンスpart4
「恕(じょ)」って?――少々、耳馴染みのない単語のよう。訓読みの
「ゆる(恕)す」なら。。何となくでも・・頷けるかしらん?
塾生:
儒学でも説かれているが、
孔子は「恕」の心があってこそ、
人生や人社会は安泰と感じていた様子。
「ゆるす」には思いやりは必須?
センセ:
センセ:
そうですね。
人が人を思いやって社会を成り立たせてゆくことは、幸福な人生感や幸福な家庭環境作りを礎えとする人類総幸福社会の実現にはやはり欠かせない「心」でしょう。
塾生:
塾生:
思いやり「恕」の心を育てるには、
カルマやトラウマによる人を「赦せない」気持ちを解消する必要がある。ということですね。
センセ:
仰る通り、何かを「赦せない」としたら、それは何故か。
譬えば、ある行為や態度、言動を赦せない。
あるいは
存在を認めたくないといった「赦せない」も、それ相応の過去世のカルマやトラウマに起因していますから、解消なくしては人を思いやることができません。
人の幸福を願う気持ち、
人の幸福を願う気持ち、
その想い(想念)こそが真意の“思いやり”であり
社会の安寧に寄与する想いは「恕(ゆるす)」心から。
「人」とは他者のみを指すのではなく、寧ろ、自己自身のこと。
社会の安寧に寄与する想いは「恕(ゆるす)」心から。
「人」とは他者のみを指すのではなく、寧ろ、自己自身のこと。
たとえば
自分の幸福は考えられるが、他者の幸福を思いやることがない場合
自分の幸福は考えられるが、他者の幸福を思いやることがない場合
その思考は真の「人の幸福」には至らない分、自己自身が不幸な状態といえる。
相手を赦そうにも、自己自身を思いやり「何故赦せないのか」
相手を赦そうにも、自己自身を思いやり「何故赦せないのか」
赦せない要因を見つけて解消しなければ赦せないままで、思いやりの心は育たない。
自己の心がキレイに磨かれてゆくほどに幸福の真意;本当の幸せを知り得、その意義を理解して幸福度(感)が増す仕組みゆえ、自己の想念向上は先決となる。
「恕」とは―――幸せな人生へ臨むために欠かせない
心のエッセンスのひとつなのです。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
自己の心がキレイに磨かれてゆくほどに幸福の真意;本当の幸せを知り得、その意義を理解して幸福度(感)が増す仕組みゆえ、自己の想念向上は先決となる。
「恕」とは―――幸せな人生へ臨むために欠かせない
心のエッセンスのひとつなのです。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;